なぜ訴訟になったのか─経過が示す企業と行政の横暴
三井グランドの住宅開発をめぐる問題は、足かけ4年にわたります。 いまは一昨年からの土地区画整理事業認可処分の取り消しを求める行政訴訟、つまり認可者の区長を相手に違法な処分の取り消しを求めることが焦点になっています。この訴訟を環境裁判といっているのは、地球温暖化が大きな問題になっ ているいま、戦前、東京緑地計画として閣議決定され、地元の地主も協力して確保、維持されてきた貴重な財産をつぶすことは、将来に禍根を残すことになるという思い、貴重な自然環境を孫子の代に引き継ぐことが、今を生きるものとしての責務だと考えるからです。
当初は、三井不動産に対しても、地域にそぐわない中高層の住宅開発ではなく、グラウンド機能を活かした公立公園化や借地公園化、指定された用途地域の枠内での建ぺい率・容積率をふまえた低層住宅も含む「地域との調和のとれた」利用などを要請する運動を重ねてきました。周辺住民の土地利用を自ら縛る「地区計画」をも提起し、これへの参加も呼びかけてきたところです。
しかし残念ながら、三井不動産は、こうした多くの地域住民の要望を一顧だにせず、「住宅開発ありき」の姿勢で、計画を強行してきました。住環境をはじめ、住民の安全とくらし、まちづくりに住民の意向をふまえて力を尽くすべき行政も、建ぺい率・容積率制限を大幅に緩和する用途地域の変更を、土地区画整理事業と「一人地区計画」という手法を講じて押し通し、住宅開発事業を認め、すすめる立場に立ちました。
こうした経過のなかで、やむにやまれず、不法な処分を取り消し、将来の地域づくりをどうすすめていくかという土俵に戻すことをめざして訴訟に踏み切ったのです。
だれがエゴを通そうとしているのか─いまの時代に憲法をいかすために
この経過をふまえれば、この裁判が、周辺住民の既得権益を守るエゴといったものでないことは明らかです。周辺住民は畑や林をつぶして住宅を建てておきながら、あとになって住宅を建てる三井不動産を非難するのはいかがなものかという方もあります。しかし、周辺住民は法を侵して住宅を建てているわけではありません。三井不動産の住宅開発とそれを認可した区の処分は、周辺と同じ用途地域を違法な手法で変更して行うもので、エゴというなら、三井不動産と杉並区こそエゴを通そうとしているというべきでしょう。
また三井不動産の開発地は私有財産であり、自由に使用し、処分できるもので、それを制約できるのは政治の役割、行政の問題ではないかといった意見もあります。それは、訴訟の争点の大事な一つであり、憲法29条の私有財産権は公共の福祉を侵さないかぎりという規定の趣旨を、どう今日の時代にいかしていくかという問題です。そして、行政訴訟法の改正によって、処分当事者以外にも訴訟の門戸を開いた小田急最高裁判決の原告適格にもかかわる問題です。にもかかわらず、私有財産権を制約できるはずの行政、区が、制約どころか逆に推進する立場に立っているからこそ、訴訟で争わざるをえなくなっているのです。
運動の広がりこそ力─現実を変えていく確信をもって
さらにいま、工事が進み、一部の住戸の販売まですすめられているなかで、裁判で争っても意味がないのではないかという声もないわけではありません。しかし、こんな不法な開発を放っておけば、近くのNHKグラウンドや郵政グラウンド、荻窪団地や阿佐ヶ谷住宅などの利用をめぐっても、同じような不法を許しかねません。
いま、下北沢や羽沢ガーデンなどの同じような訴訟を起こしている方たちとの共同の運動に広がってきていることは、私たちの運動が大きな力になっていることを示しています。現実の三井グランド住宅開発においても、三井不動産は、南側のF、G1、G2棟について、いったん出した建築確認申請を「樹木保全のため」として取り下げました。計画前に周辺住民に約束した樹木の保全をないがしろにし、伐採を欲しいままにしているなかで、訴訟をはじめ、ねばり強い運動が再検討を強いたものといえます。現実にも、将来にわたっても、運動が決して無駄ではないことに確信をもって取り組みを強めていきましょう。